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この時期プールでにぎわう、越谷しらこばと水上公園。
その目の前の道は戦時中、論田飛行場の滑走路及び付随する建物の設置された場所でした。
写真(別途参照)の隅の方、岩槻側の田園地帯を拡大して見ていたところ、四個の丸が一組の不明な人工物が写っていました。
気になった自分は、ページにリンクされていた国土地理院にあった地図を片っ端から見ていき、併せて、現地の友人らに例のかぶ山を案内してもらいました。
そこでは新たな発見がありました。
四個の丸の人工物は、古い航空写真では不鮮明でしたが、昭和中期の写真などにもハッキリと写っていました。
それらをたどった先は、なんとあのかぶ山近くの変電所になりました。
現地に遺構がないか見に行くと、四個の丸は古いコンクリートと鉄骨の、鉄塔の跡でした(※今年三月二十一日の『東武よみうり』にて、越谷郷土史研究家の秦野さんによる研究を1面に掲載)。
これらは岩槻・越谷側の複数に現存していたと確認できました。
そして、かぶ山。
戦後の航空写真では、飛行場北部から道が作られており、かぶ山のある丘には複数のコの字のくり抜きがあるのが分かりました。
いくつかは消滅していましたが、かぶ山には現存していました。
それなりの大きさがあり、戦闘機を隠したというのもうなずけます。
祖父と恩師が言われていたものは、正にこれでした。
当時、かなりの大工事であったことは容易に想像できます。
大変な時代に、岩槻の先人達が苦労して作ったもの。
「伝えなければそのまま忘れ去られてしまう」と思い、書かせていただきました。
【本格格闘甲冑集団-式-・長永】
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