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岩槻城は中世に成立し、戦乱の時代を経て、近世は明治維新まで岩槻藩の居城として栄えました。
明治以降主要部分が開発されていき、現在、往時の面影を残すところは、「新曲輪」「鍛冶曲輪」と呼ばれる岩槻城の南側の部分などわずかなところだけとなっています。
岩槻郷土資料館では、平成30年5月26日から収蔵品展として資料館に収蔵されている岩槻城の絵図を展示しています。
この展示では、明治以降になって往時の姿をしのび模写した岩槻城の絵図や武家屋敷周辺の絵図、明治4~5年頃の士族屋敷の屋敷割の草稿、大手門の西側にあった茅小屋の絵図など9点を展示しています。
天保13(1842)年の絵図を写したと思われるものは、建物の配置などだけでなく、敷地の面積、土塁の高さ、堀の幅や深さなども記され、当時の様子をよく知ることができます。
「岩槻城址裏表紙」は印刷物の裏表紙であったと思われ、構図は岩槻古城八景に見られる「岩槻城址図」と同じものです。
また大正6(1871)年の「岩槻市街図」では、岩槻城は本丸など主要な部分を春日部方面に向かう道路が横切っているものの「岩槻城址」と記され、全体的に旧状をよくとどめています。
今回の展示は、平成30年7月8日まで開催していますので、岩槻郷土資料館に足を運んでいただき、これらの絵図などから近世から近代の岩槻城の様子やその周辺を見ていただけたらと思います。
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