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岩槻駅東口から越谷方面に向かって直進し、信号を四つ過ぎると左側に千手院があります。
千手院について、旧岩槻市時代に田中寿徳教育長から「仲町の千手院は、その昔は、現在の学蔵寺付近にあったが、移転して現在の所に移った。と昔の人はよく言っていた。」と教えていただいただき、伝承として今日に至ったりました。
この移転伝承が四十年近く過ぎた昨今その伝承を裏付ける『岩槻城絵図』を見ることができました。
この『岩槻城絵図』には、製作年代が記入されていませんが、記載内容を見ると、
その一 大龍寺が記載されているので岩槻城主青山忠俊以降である。
その二 「新町」という地名表記がある。新町が町として成立したのは岩槻城主阿部重次の代と古文書に記されている。
その三 岩槻の城郭と町人街を囲っている総構の外側、現在の仲町一丁目付近に作られた足軽町(一番町から四番町)がこの絵図には記載されていない。足軽町は、岩槻城主阿部正春の代に造成された説がある。
以上のようなことを鑑みると、この城絵図は、江戸時代初期阿部重次の頃と推定しました。
『岩槻城絵図』に記載されている千手院の位置は、横町枡形の手前右側に真浄寺、道を挟んだ反対側に千手院、千手院から一区画明けて学蔵寺(天神小路)と記されています。
江戸時代の文化・文政期(一八〇四年~一八二九年)に編まれた『新編武蔵風土記稿』の横町の項は「横町 横町は久保宿町の西より南へ入る小路なり末に木戸口あり林道口と号す ○千手院 慈眼山と称す禅宗曹洞派加倉村洞雲寺の末開山香庵明梅慶長五年八月二十八日寂す」とあり、移転の事は触れられていません。
しかしこのころ千手院は、横町から杉並町(林道町)に移転済みと考えられます。
明治から昭和二十年まで寺院の基本的台帳である『寺院明細帳』には、「埼玉県管下武蔵国南埼玉郡岩槻町字横町 本寺埼玉県管下武蔵国南埼玉郡加倉村洞雲末 曹洞宗 千手院 一本尊釈迦如来(略)」とありますが、移転の事については触れられていません。
お寺の所在地は、横町のまま記されています。
先人からの伝承が時を隔てて一枚の城絵図から真実であったということを報告させていただきました。
皆様がお爺ちゃんやおばあちゃんから聞いた話を私たちに教えてください。
ご連絡をお待ちしています。
【文責・飯山実】
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