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岩槻城が3D映像で復元された一方で、町の歴史をまとめた1987年発刊の書籍『岩槻城と町まちの歴史』(菊地丕/聚海書林)についての情報が寄せられた。
その中には、岩槻との姉妹都市である千葉県千倉町について逸話が記録されている。
今から250年以上前、南房総に位置する千倉町は岩槻藩領であった。安永9年、その地に1隻の中国船が漂着したという。
この船は長崎へ往来していた貿易船だったというが、荒れ狂う海の風や波に流されるかのように、千倉海岸へとたどり着いた。
当時、地元の人びとは暴風雨に絶えながら乗組員718人全員を救い上げた。岩槻藩からも郡奉行児玉同成ほか数名を派遣し、幕府代完による指揮のもとで処理業務にあたったのだそうだ。
その後、乗組員たちは2ヶ月のあいだその地へ滞在し、幕府差し回しの船が待つ館山に向けて発った。
じつは、この事件がきっかけになり、千倉町と岩槻は姉妹都市となった。昭和48年に岩槻地方研究会が詳細を伝え、千倉の人びとのあいだで「勇敢で人類愛に満ちた先祖達の偉業をたたえよう」という気運が盛り上がり、昭和55年7月、乗組員たちの漂着地点に記念碑が建立されたのだという。
千倉町と岩槻が姉妹都市となったのは翌年、昭和56年1月のことである。
距離でいえば、およそ150キロメートルほど離れている都市が過去の歴史を通して繋がっているというのは、今からすれば感慨深くも思える。先人たちの歩みが、今なお残っていると感じさせてくれるエピソードである。
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