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「ひきこもりKHJ親の会」創設者の奥山雅久氏との出会いは私にとっては衝撃的な酒席でした。
呑んだ場所が思い出せない人生一度の痛飲で、7年後の平成七年の再会から本格的な付き合いが始まった。
そこへ彼が私にとっては途方も無い、大きな「ひきこもりに悩む親の救済」の為の全国組織を立ち上げたいといってきた。
小さな店を経営し地域紙「らうんじ」を発行していた我身にとっては、自分の商売のことしか頭にない平凡な日常の私にとっては社会改革とも思える「クーデター」のような壮大な思いでしたが、彼の不可能を可能にする「命を懸ける」との真剣さに眼を見張った。
彼なら出来るかもと思う微かな思いと、胃癌手術後の痩せ衰えた顔の輝きと健康を取り戻す為には必要だと、そして目の前で起こる全てを見ていたいとの興味心が躊躇なく、GOのサインを出していた。
本部事務所を私の事務所に置き、事務局長と副代表を兼ねてスタートした。
そして「らうんじ」を発行していた身として、出会、再会そして会の流れを書き残して見たいとの思いで書き始めた。
会が軌道に乗ると私は会の機関紙の発行や印刷物の作成等、裏方に徹し、直接の情報に携わる立場から徐々に離れていくようになり、いつか続きをとの思いを残しながら平成20年8月15日にペンを置いた。
その頃にはKHJ親の会は全国42地区会(支部)に14準地区会を含め7920家族と賛同する人材の組織となっていた。
それから2年後の夏、悲願の「ひきこもりへのガイドライン」の法制化の成立。
その喜びの裏に末期の肺癌の再発。
ステージ4から5、6と半年足らずに移行。
彼は淡々とそれを受入れ、亡き後の会の存続、発展への手を打ち静かに人生の幕を降ろした。
その後の会の存在は増々発展し「ひきこもり問題はKHJ抜きでは語れない」と行政も会の活動を後押しする展開になってきた。
現在の会の活動を彼は遠い彼方で微笑んでいるでしょう。
そして私も後に続く方々の勇気に結びついて頂けたらとの想いで発刊を思い立ちました。
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