ココロとカラダのくすり箱 「パラリンピック物語」

「パラリンピック」は、今でこそ身体の不自由な人たちのオリンピックとして定着しましたが、その原点は1948年、今から75年前に肢体不自由者(脊髄損傷者など車椅子利用者)のスポーツ大会がイギリスの「ストーク・マンデビル病院」の敷地内で行われたことに発します。これを第1回のパラリンピックと位置づけています。 

 そして、1964年に日本で開催されたストーク・マンデビル大会から現在の肢体不自由・視覚障がいが参加する「パラリンピック」が始まりました。「パラリンピック」は和製英語です。Palla(ギリシャ語で「もうひとつの」)+OlympicでParalympic(パラリンピック)です。日本で生まれた「パラリンピック」の名称が、全世界に広がったのです。

 そこには1人の若き医師(中村裕)の熱意と尽力の物語があります。リハビリテーションの概念が、現在の様に定着していない時代のことです。中村はストーク・マンデビル病院の試みにいち早く注目し渡英しました。現地をつぶさに観察して、身体機能回復にスポーツが有意義であることを確信しました。

中村は、東京オリンピックの2年前の1962年に2名の車椅子の選手をストーク・マンデビル大会に参加させようとしました。今から65年前の話です。 

 しかし、渡英するのに選手の旅費すらありません。中村はともかく付き添いの医療スタッフや事務方もいます。東京オリンピックの2年前です。高度経済成長時代、国民こぞって舞い上がっていた時代です。それにも関わらず障がい者スポーツ大会に日本選手を外国に送るなど誰も考えられなかったのです。今とは違い障がい者スポーツへの関心が低かったわけです。困った中村は、愛車を手放し選手の旅費や滞在費に宛てました。ここから先の話、「珍道中」の顛末は、私が厚生省に入省したのが昭和48年。3年目に偶然先輩から聞いた話です。
続きは次号へ…。
【NPO親子ふれあい教育研究所代表(元大学教授) 藤野信行】

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