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今回紹介する「岩槻城并侍屋敷城下町迄総絵図」は縦二九五・五㎝、横二六六・五㎝の大きな絵図です。
岩槻城だけでなく、城下町岩槻全体を町屋、水沼、空堀、土居、道を色分けして表現しています。
元荒川が北側から東側に流れ、湿地(沼)の中に浮かぶように岩槻城があり、その南側には侍屋敷、さらにその西側の日光御成道沿いは、町屋がみられます。岩槻城や侍屋敷は細かい記載もされています。
この絵図が作られた時代は明らかではありませんが、江戸時代中期から後期、概ね一八世紀半ばのものと考えられてます。
絵図の二の丸に「享保の御成門」とあることから、享保一三年(一七二八)に六五年ぶりに行われた第八代将軍徳川吉宗の日光社参の際に将軍の宿泊所として、二の丸の増改築が行われた以降のものとわかります。この「二の丸御成門」の南東側の空堀脇には、「岩槻古城八景」にも描かれた二本の杉が描かれています。
この二本の杉は、「二本杉」「道灌箸立杉」と呼ばれ、太田道灌がこの城が繁栄するならこの箸から芽を出せといって差したところ大木になったという伝説をもっています。
そして、将軍の通行に差しさわりがあっても、切ることは許されないものであったといわれています。
平成五年に行われた岩槻城二の丸第二地点の発掘調査の際に杉の一本と思われる大きな杉株の跡が発見されました。
その痕跡は四m以上にもおよびました。
この絵図は、平成二五年三月に、さいたま市の有形文化財(歴史資料)に指定されました。
また、江戸時代後期の岩槻のまち全体がよくわかるものであり、非常に貴重なものといえるでしょう。
現在はさいたま市立博物館に保管され、レプリカが市立博物館で展示されています。
(さいたま市立博物館図録から)
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