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大般若波羅蜜多経は六百巻からなる長大な経巻です。
さいたま市緑区宮本にある氷川女体神社の大般若波羅蜜多経は、初めの四百巻は、元弘三年(一三三三)から暦応二年(一三三九)にかけて、僧性尊によって河越氏の繁栄を祈願して写経されたものといわれています。
残りの二百巻はその後、川越中院の僧らによって写経されました。
この経巻は、戦国時代の永禄四年から六年にかけて川越中院の僧奝藝によって、岩槻太田氏の安穏、繁昌などのため真読が行われました。
真読というのは、経文をすべて読むことで、六百巻のこの経巻を真読することはかなりの時間とエネルギーが必要となります。
この氷川女體神社の経巻の識語・奥書には、当時の戦乱の様子が書き記されています。
それによれば、岩槻の太田氏が越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り、後北条氏と対峙した騒乱の様子がうかがえます。
また、北条氏康が「篠目」(現在のさいたま市南西部から戸田市にかけての地域)を放火したことや、水判土慈眼坊(現在の西区にある慈眼寺)焼失など歴史の表舞台の登場しない出来事もみることができ、戦国時代のさいたま市周辺の様子を知ることのできる貴重な史料となっています。
この大般若波羅蜜経は全六百巻の内、五三九巻が現存し、欠本を補うためか異本、補写本が見られます。
この経典をおさめた經櫃や請箱も残されています。
昭和四七年三月二八日に埼玉県の有形文化財(典籍)に指定されました。
今回は、岩槻に関連する部分や戦乱の様子を記した部分をとりあげて、パネルを作成し、展示することになりました。
戦国時代の岩槻に関わる数少ない史料をご覧いただきたいと思います。
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