岩槻郷土資料館だより㊼「菅神画像」

藩藩校である遷喬館の創始者である「児玉南柯」は、岩槻藩の藩士であり、江戸時代後期の儒学者、教育者として、よく知られています。
この児玉南柯の遺品は、昭和四八年四月、南柯の子孫の方から、岩槻市教育委員会(当時)に寄贈されました。
すでに埼玉県有形財に指定されていた「児玉南柯日記及び関係書籍」を補充する資料として昭和五三年三月二九日に市の有形文化財に指定されました。
その内容は、遷喬館・勤学所の扁額、菅神画像、児玉南柯自画像などの他、県指定文化財に欠けている豊氏略記(一)、山東創業録(九)を含み、岩槻藩教学に関わる貴重な史料となっています。
今回はこれらの中から「天神画像」を紹介します。
この画像は、「享和四甲子年二月二十五日 遠江守藤原久周書寫」とあり、上総国一宮藩主加納久周(ひさのり)によって享和四年(一八〇四)に描かれたものです。
「児玉南柯日記」によれば、翌年の文化二年(一八〇五)三月一六日にこの画像を久周から賜り、学舎の鎮守とし、六月二五日に落成されたばかりの菅神祠の壁にこの画像がかけられたことが分かります。
南柯は享和元年(一八〇一)、伏見奉行に就任した久周の招きで京都・奈良・大阪方面を遊行しました。
その際、伏見で南柯が「学館の鎮守の神」を祀りたいことを久周に伝え、久周がこれに賛同し筆を執ることになりました。
賛は、菅原道真の後裔である高辻家に、道真の神詠から一首の選定を依頼し、久周の筆で添えられたものです。
加納久周は岩槻藩主大岡忠光の子で、幼少の頃、南柯が素読の師となりました。
加納家の養子に入った後にも、南柯の学徳を慕い、主従の関係を越え、永く交流がもたれました。

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