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つかのこし古墳は岩槻駅の北西三キロメートルほどの岩槻区大字馬込字一番にかつてあった古墳です。
綾瀬川を望む台地上にあったといわれ、現在、墳丘などの遺構は全く見ることはできず、所在した詳しい位置などは不明です。
発見された遺物は保管箱に収められ、馬込にある満蔵寺に保管され、旧岩槻市に寄贈されました。
この保管箱に記された「発掘物件目録」よると、大正十三年三月三日に発掘されたもので、刀剣四(大二、小二)、坩一、瓶一、坏一、金環二、矢ノ根二五、弥生式土器一となっています。
当時撮られた写真と現在残る資料とで見ていくと、刀剣類は、直刀と思われ大型のもの三、小型のもの一となります。
目録にある「坩、瓶、坏」は須恵器の長頸壺・フラスコ形壷・坏の三点です。
鉄鏃(矢ノ根)は二五点とありますが、細かく割れており、それらを数えたようです。
「弥生式土器」は壺形土器であり、保管箱には東京帝室博物館に寄贈されたと記されています。
現在金環を除く遺物は岩槻郷土資料館に保管され、展示されています。
この時の発掘の様子は、明らかではありませんが、砂利を敷いた十字形の穴が発見されたようで、埋葬部分にあたる礫槨であった可能性が考えられます。
岩槻区内には浄安寺境内から人物埴輪の出土があり、竹ばた遺跡からは横穴式石室と思われる石室の一部が発見され、何基かの古墳が所在していたようです。
次回、出土品を見ていきたいと思います。
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