岩槻九町について㊱ 「徳川家康が宿泊した寺・浄安寺」

浄安寺は、京都知恩院の旧末寺で、快楽山微妙院と称します。
寺伝によると真言宗の寺院であった廃寺を、天誉了聞(てんよりょうぶん)が、永正二年(一五〇五年)浄土宗として興し、浄安寺と名付けました。
一説には、建暦元年(一二一一年)岩槻、越谷、白岡などを領していた野与党渋江氏一門の氏寺渋江寺が、浄安寺との説もあります。
大永から享禄期(一五二一から三二年)の住僧縁誉称念(えんよしょうねん)は、念仏修行の一便法として、三〇個・三六個を貫輪とした数珠を考えだし、この数珠を常に念仏の務めに用いていたので有名になり、「輪数珠(わじゅず)」と呼ばれ人々に使用されました。
そのため、「岩付ノ町ヲ通ラバコゝロセヨ 人ハヌキ入レズズノハヤルニ」との狂歌も発生したと伝えられています。
中世の地名イワツキの表記文字は「岩付」と書いていました。
寺は、岩槻城主太田氏房から諸役不入の特権が安堵されていました。
元亀の頃(一五七〇から七三年)山口県の領主大内氏の家臣富雪斎唯称(ふせつさいゆいしょう)が浄安寺に滞在し、所沢市の北野天神社の天神縁起絵の表装補修などをおこなっています。
上杉謙信の死後上杉家を継いだ上杉景勝は、豊臣秀吉の配下に組み込まれ、慶長三年(一五九八年)越後から会津に赴き一二〇万石の大名になりました。
会津の領主となった上杉景勝は、領内の道路修理や橋の架け替え、城郭の整備、牢人の召し抱えなど当然の備えとして実施した両国経営が、徳川家康には不穏の動きとされ、上杉氏と徳川氏の対立となりました。
徳川家康は、慶長五年六月二日関東の大名に対して会津征伐の触れを出しました。
家康は、同年七月二日大阪城から江戸城に入り、七月二一日江戸城から会津に向かって出陣しました。
七月二四日小山にて、石田三成らの挙兵を知ると会津征伐を中止して、石田三成の討伐に向かいました。
この会津征伐に向かうとき浄安寺を本陣として一泊しました。
この縁により六二石余の御朱印を賜りました。
その後東照宮が勧請されました。
境内墓地には、江戸時代初代の岩槻城主高力清長の墓石があります。
高力清長の祖は、源頼朝の御家人熊谷次郎直実と云われています。
高力清長は、三河在住の時は徳川家康のもとで一揆の鎮圧等軍功を重ね奉行職などを重ね駿河国の田中城主となりました。
天正十八年(一五九〇年)徳川家康の関東入国にともない同年八月二万石で岩槻城主に封ぜられました。
清長は戦乱で荒れた村々の復興に勤めました。
清長の没年は、慶長五年(一六〇〇年)一二月二六日説、慶長九年春之仲二六日説、慶長一三年一月二六日の三説があります。
徳川家康の孫徳松殿(越後少将忠輝の子)とその母お竹殿の供養塔・墓石や岩槻城主大岡家の儒者児玉南柯の墓所などがあります。
【文責・飯山実】

江戸時代の浄安寺

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