「風魔の館」が岩槻にあった② 2人の「風間」

風魔小太郎の伝説の3つの出典は、三浦浄心『北条五代記』『見聞集』と、もう1つは寛文十二年(1672)刊の『鎌倉管領九代記』でした。
「鎌倉管領」は、今日一般に「鎌倉公方」と呼ばれる室町幕府の鎌倉府の長で、足利氏が九代世襲しました。
その四代・持氏は、幕府と親密な「京都扶持衆」の討伐を繰り返して幕府や上杉氏との対立を深め、幕府・上杉氏との戦いに敗れて、永享十一年(1439)に自害に追い込まれます(永享の乱)。
翌永享十二年(1440)に結城氏朝ら「鎌倉府奉公衆」の残存勢力が蜂起しますが、幕府軍が日本全国から結集し、蜂起軍が立て籠る結城城(茨城県結城市)を包囲しました(結城合戦)。
『鎌倉管領九代記』によると、このとき、幕府軍の大将・上杉清方は、献策により「其頃世に隠れなき忍びの上手に、相模国足下郡(あしものこほり)に住なれし」風間(かざまの)小太郎を城中へ遣わし、風間は籠城方の武将を離反させることに成功しました。
なんと、相模国出身の風間小太郎は、『北条五代記』の風魔とは別人で、後北条氏より昔の時代に、上杉氏に仕えた「忍びの上手」だったのです。
伝説の展開を追ってみると、風間小太郎と風魔が同一人物視されるようになったのは、昭和初期のことでした。
では、『北条五代記』の風魔は、何処の人だったのでしょうか。
実は、後北条氏の発給文書に、そのモデルらしき「風間」の名がみえることは、江戸後期の『新編武蔵風土記稿』の頃から知られていました。
2006年刊の下山治久編『後北条氏家臣団人名辞典』にも「ふうま〔風間〕」の項目が立てられています。
その冒頭には「北条氏に仕えた忍者の棟梁。
埼玉県さいたま市区黒谷の妙円寺の開基は風間出羽守の嫡子雨宮主水正と伝える」とありますが、出典が記してありません。
さて、この記事の出典は、何でしょうか。(つづく)
【ボランテイアガイド会・向山】

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