岩槻九町について㉘「新曲輪河岸」

河岸(かし)は、川に沿った場所で荷物などの乗りおろしに便利な所にできた川船の港です。
元荒川筋には、辻、新曲輪、須賀、末田、瓦曽根(越谷市)など、綾瀬川筋には馬込、新河岸(加倉)、簀子(見沼区)、妙見(谷下)、戸井(緑区)、新河岸(尾ケ崎)、畷(緑区)などがありました。
新曲輪河岸は、元荒川左岸、新曲輪橋下流に位置しています。
江戸時代初期から岩槻領内の年貢米の津出しなどに利用される津出河岸でした。
この河岸の川運上は鐚五百文、船の年貢は一年間で一両二分でした。
『岩槻城絵図』には「船小屋」と記されています(写真参照)。
岩槻城主大岡氏は、御用商人原田氏(新曲輪町名主)を御舟方に任命し、新曲輪河岸の管理と年貢米輸送の任にあたらせました。
年貢米の輸送は、辻河岸、新曲輪河岸、須賀河岸、末田河岸などで船に積込み、江戸に送られました。
船は、“上船”と称する大岡家の御抱船、“下船”と称される原田氏所有の船、各河岸所有の“備船”が活用されました。
寛政元年(一七八九)の年貢米輸送は、上船七千九百九十二俵、船賃八十八貫九百三十九文。
下船は七千九百九十二俵で、船賃は二百九十五貫六百四文でした。
天保七年(一八三六)九月十七日から十二月三日の間に新曲輪河岸から江戸へ運んだ年貢米は四千三百俵と記されています。
一俵当たりの量は、阿部氏時代は三斗五升入りで計立(はかりだて)は四斗二升入り、板倉氏時代は三斗七升入り、永井氏時代は三斗八升入り、大岡氏時代は籾三斗八升入りと城主によって相違がありました。
天保十三年新曲輪河岸を利用していた商人は、市宿町は笠原兼松、鍵屋勘兵衛、油屋佐兵衛、森田屋次郎左衛門、紙屋善兵衛、三善屋源五郎、鍛冶屋八郎兵衛、足袋屋甚左衛門、指物屋勇七、鍋屋友七、増田屋源兵衛、肴屋八五郎、車屋源蔵、鮒屋又右衛門、吉野家文右衛門、小倉屋七五郎、豆腐屋伴六、板屋半兵衛、石屋利兵衛、徳力屋仙之助、みの屋三右衛門、塩屋忠右衛門、肴屋長吉、八百屋長次郎、久保宿町は八百屋孫兵衛、百間屋惣兵衛、ふゑ屋酉之助、鍵屋善右衛門、たばこ屋伊兵衛、山城屋初五郎、宮田屋佐兵衛、津国屋弥兵衛、石川小右衛門、湊屋儀右衛門、湊屋小兵衛、綿屋惣右衛門、泉屋平兵衛、新町は矢部清右衛門、米屋惣右衛門、肴屋弥市、質屋政吉、油屋重兵衛、横町は肴屋佐五兵衛、箒屋吉右衛門、ふるい屋清五郎、餅屋権太郎、林道町は綿屋、布袋屋金次郎、伊勢屋惣右衛門、伊勢屋庄兵衛、加倉村は大阪屋善右衛門、百間屋覚次郎、松本屋幸助、平林寺村は酒屋定七、辻村は大和屋定七などでした。
新曲輪から他地域へ運んだ品は、米、葱、素麺、綿実、〆粕、水油等、運ばれてきた品は、鉄、斉田餅、赤穂、酒、味噌、紙、莚、砂利等でした。
【文責・飯山実】

新曲輪河岸

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