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昨年4月来、風魔関連の観光開発につき、岩槻観光ボランティア・ガイド会様をご支援させて頂いております、小田原市在住の吉田英樹(仮)と申します。
この度、連載枠を頂き、風魔小太郎の伝説と岩槻の風魔関連スポットについて、少し詳しく解説させて頂くことになりました。
早速ですが、皆様は「風魔小太郎」をご存じでしょうか。
漫画やゲームで名前を見かけたことはあっても、「相模国を根拠地として後北条氏に仕えた忍者集団・風魔一族の首領」、何だか邪悪そうでもあり、岩槻と何の関係があるのか、と思われたかもしれません。
しかし、小田原で暮らしておりますと、風魔忍者の名前は町おこしのイベントなどでよく聞きますけれども、周辺には、風魔忍者に関する史跡や史料が特に何も見当たりません。
「小田原へ行けば、風魔忍者の存在を裏付けるような遺物が何かしら残っているのだろう」と思われるかも知れませんが、百聞は一見に如かず。
それでモヤモヤして、忍者・忍術の解説書類を参照して調べておりましたら、風魔小太郎の伝説は3つの出典を合成して出来ていることに気付きました。
1つ目は、寛永十八年(1641)刊の、三浦浄心著『北条五代記』にある「風魔(かざま)」の伝説です。
風魔は、根拠地不詳。
後北条氏(五代・北条氏直)に扶持され、天正九年(1581)に静岡県の黄瀬川で武田軍と対陣したときに敵陣に夜討ちをした「乱波(らっぱ)の大将」とされています。
2つ目は、同じ三浦浄心の著書『見聞集』にある「盗人狩(ぬすびとがり)」の逸話です。
江戸初期、「向崎(むこうざき)甚内」が、関東各地の「盗人」の首領は皆「風魔が一類、らっぱの子孫共」だと江戸町奉行所に訴え出て「盗人狩」が行われましたが、実は向崎甚内も「大盗人」だとわかり、慶長十八年(1613)に浅草原で磔になったとされています。
さて、もう1つの出典は、何でしょうか。(つづく)
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