東京・小岩からの慈恩寺道③ 「慈恩寺」

慈恩寺は華林山最上院ともいわれたあと、慈覚大師(円仁)により、鎌倉時代天長元年(824年)に開設された天台宗のお寺です。
坂東33観音霊場 第12番目の札所で、今も多くの人々の信仰を集めているお寺です。
13番目札所は浅草の浅草寺です。
御本尊は大師が杉の霊木から彫ったといわれる、千手観世音菩薩像です。
なおこの区間で、小岩を起点とした慈恩寺へのお参りの路が慈恩寺道(みち)です。
◎小岩と岩槻            
ところで小岩はどこでしょうか。
江戸川区の北部地域にあたります。
奈良時代は甲和里と呼ばれていて、江戸川沿いに広がる町です。地図に江戸川区と岩槻区を置いてみました。
以前この間を結ぶ一本の道がありました。
小岩は古くから行徳より江戸川区内を通り岩槻方面に塩を運こんだとされる岩槻道(みち)が通っていました。
小岩から江戸川沿いのこの道を14㎞程南下すると明治時代の旧行徳驛付近にたどり着きます。
そこは海辺の村で当時多数の塩田が海岸線に並んでいました。
現在のJR京葉線塩浜駅周辺です。 
室町時代、岩槻の武将太田道灌は関東管領、扇谷上杉家の家宰として関東一円を統治していました。
1457年(25歳)で江戸城の築城主となり、1478年には小岩市川の渡し近くの国府台城を控え城として陣を敷きました。
この城と江戸城の途中にある江戸川区小松川香取神社には、道灌が舟からおりて立ち寄り、霊水を得て 船の航行の安全を祈願しとの伝承がされています。
江戸時代 江戸川区一帯が武蔵国 葛飾郡 東葛西領と呼ばれていたころ、慈恩寺道(みち)としるされた道標が小岩から岩槻までの道添いに置かれました、岩槻は「武蔵国 埼玉 岩槻領」と呼ばれていて同じ武蔵の国に属していました。
国を跨がずに旅が出来る場所でした。
今は忘れ去られていますが過去を尋ねてみると、川や道を通行して、物資の流通及び文化交流が岩槻と小岩にありました。
現在は京成小岩駅を出発し関谷駅で東武鉄道牛田駅に乗り換え、春日部駅からアーバンクライン線を利用すれば簡単に岩槻方面に行くことができます。
【榎本淳三郎】

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