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「ウルトラC」と言えば、嘗て一世を風靡したNHKスポーツ中継の名アナウンサー鈴木文弥さんが、東京オリンピックの際、日本選手が至難の技を次々に決めた際に表現した言葉として当時の流行語となったものである。
戦後(第二次世界大戦)の教育改革で、昭和二十二年四月から新制中学が発足した。
発足当初の新制中学校は、予算や資材の不足から、校舎、設備、教材、教具のすべてにわたり貧弱を極めた。
中でも、英語などを教える教員組織については大変不満足な状態であった。
こうした状況からか、当時、現役大学生が学生アルバイトを兼ねて英語を教えるケースが多かったようである。
我が柏崎中学校にも早稲田大学文学部在学中の鈴木文弥先生が着任された。
先生は東京生まれであるが、戦時中に疎開して、多感な青春の一時期を岩槻で過ごされた。
現在柏崎は、さいたま市岩槻区柏崎であるが、当時は岩槻町に隣接する柏崎村であった。
出来たての柏崎中学は小学校の間借りで、ホームルームも物置を改造したコンクリート床の土足教室で、室内は何時も微細なほこりが舞い飛んで居る状態であった。
鈴木先生は、こんな教室は健康に良くないと言われ、天気の良い日には校庭や、時には野外に繰り出して授業をされた。
あの歯切れが良い、都会の香りが漂う端正な語り口の授業、興に乗ると、英文学やプロ野球の話等、田舎育ちの我々には今までに想像も出来なかった世界を垣間見せてくれた。
野外授業の行き帰りに大声を張り上げて、先生のリードで歌った、NHKのラジオ歌謡「思い出は雲に似て」も忘れられない。
「はるかに遠き日を呼び返すごと 群れとぶよ 群れとぶよ 夢の数かず」。
先生は卒業されると直ぐにNHKに入局されたので、在職された期間は大変短かったが、思春期を迎えつつあった田舎育ちの餓鬼どもに与えたインパクトはとても強烈であった。
知らず知らずの中に生徒を刺激し、明日への、胸が躍るような夢や憧れを抱かせる、そんな教師が本当の良い先生ではないかとつくづく思う。
東京オリンピック開会式ラジオ中継の「開会式の最大の演出家、それは人間でもなく、音楽でもなく、それは太陽です」に始まる伝説の名調子や「ウルトラC」「金メダルポイント」などの名言を残した鈴木先生。
この頃は放送が聴くから観るに変わり、TV全盛時代である。
鈴木先生のような文学的センスに優れ豊富な語彙を用いて、現代風講談調で語りかけるアナウンサーは一向にみられなくなってしまった。
TVに出てくるアナウンサーは出演者と一緒にワイワイ騒いでいるだけである。
最近、何かにつけてオリンピックの話題が多いが、そんなニュースなどに出会う度に想い起こす、我が師である。
(16年夏頃寄稿)
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