「帽子考」後編 文=加藤三郎

風呂敷または大ぶりの布を使ったものに「頭巾」があります。
映画でおなじみの『鞍馬天狗』『怪傑黒頭巾』などが被った宗十郎頭巾、主に女性が面を隠すために用いられたといわれるお高僧頭巾、その他、しころ頭巾や大黒頭巾、道帽、火事装束として猫頭巾があり、刺し子で作られていました。頭巾の用途は江戸時代には覆面、防寒、埃よけであったようです。
さて明治から昭和、平成にかけて帽子は大変貌しました。
駄洒落でいうなら「大変帽した」と言ったところでしょうか。
和服から洋服に着るものが変わり、さらに社会構造に変化があったためです。
髪型もちょんまげから洋髪に変わりました。
礼装もシルクハット、フロックコート、モーニング・コートなどを着用するようになりました。
また、山高帽は幸田露伴の小説にも登場していますが、あのてっぺんが丸く高いフエルト製の帽子が、のちにソフト棒といわれる中折れ帽に変化して一般的に使われるようになったのかもしれません。
この中折れ帽をもっとも粋に被ったのは、あの名作といわれる映画『カサブランカ』で主演した男優のハンフリー・ボガードです。
ちょっとななめに目深に被ったり、浅めに軽く乗せたり。
役柄によって上手に使いこなしていて、特に印象深かったのは、イングリット・バーグマン扮する恋人を雨の降りしきる駅頭でトレンチ・コートに身を固めたボガードが、粋に被った帽子のつばから雨がしたたるのもかまわず列車が動き出すまで待っていたシーンでした。
また、ジョージ・ラフトも男の哀愁をソフト帽で上手く表現していた一人です。
ここで話は変わりますが、大正から昭和のはじめ頃まで、職の技を習得するために徒弟制度がありました。
当時は現在のように週休二日制ではなく、ちょっと語弊はあるものの、古い言葉を使わせていただくと勤め人は「奉公人」と呼ばれていました。
盆暮れしか休みを取ることはできず、このことは一般的に「藪入り」といわれていました。
広辞苑によれば、奉公人が正月および盆の16日前後に、休暇をもらっって親元に帰ることを表し、盆の休暇は「後の盆入り」と呼ばれていたこともあったそうです。
なぜこんなことを長々と話したかというと、いちばん若い奉公人の小僧さんと呼ばれる人たちが身につけていたファッションとの関係があるからです。
全部が全部ではありませんが、当時はハンチング帽に木綿の着物、新しい下駄というスタイルが一般的で、浅草のロック座、上野などへ行くとよく見かけたものでした。
そして、もう一つ。
戦後の帽子のファッションで、人びとが日常的に被るものとして圧倒的に受け入れられたものに野球帽があります。
日本のプロ野球の隆盛と共に、ごひいきのチームのマークの入った帽子を被り差別化を意識した大リーグのロゴ入りのもの。
外国の有名メーカーの宣伝用のもの。
そして、農業関係者の中で浸透したのが、農機具メーカーや農薬メーカーが無償で配布した社名または商品名の入った野球帽でした。

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